低学年の今週は算数のテストを行なった。
松江塾に入ったばかりの皆んなは、
テストとなれば緊張した面持ちだったり、
途中で飽きてきてしまったり
そんな様子だったけれど
3月から半年たった今では
テストなんだか楽しそう。(゚∀゚)
みなさんの記憶にもあると思うけれど、
運動が得意なら、体育
手先が器用なら、図工
音符がすらすら読めたら、音楽
きっと、その時間ワクワクしたり
楽しい時間だったはず。
好きな教科が並ぶ前日は、明日はきっといい日になると期待しながら眠ったはず。
そう思うと、学校って勉強する時間が長い。
国数英理社の時間が大半を占めるわけだから、
勉強できる方が楽しい時間が多いはずだ。
時々、「勉強させて可哀想。」なんて言う人がいるが
本当に可哀想なのは
子ども時代の大半を占める学校を、楽しめないことじゃないかと思う。
できなくても気にしない。
他人のことはさて置きと割り切れる子はそれでいい。
でも、そんな子はさほど多くない。
朝から登校して、夕方まで過ごす。
その時間
不安と羞恥心を抱えて過ごしているのかもしれない。
親なら、子どもが笑顔でいる時間が多ければ多いほど幸せなのに。
自分の見えないところでは、笑顔でなくても良いのかな?
目の前で努力する子を見るか
学校で我慢する子を送り出すのか
どちらを選ぶかは、選択はできる筈。。。
生きていく上で、勉強ができることが徳になるかはわからない。
もしかしたら、そんなこと影響しないのかもしれない。
でも生きていく上で、自分に自信があることはとっても大切なことだから
自信を持って過ごせる時間は、きっと長い方がいい。
少し(家で)努力をさせるのと
少し(学校で)我慢をさせるのと
本当に可哀想なのはどっち?